柴田さんの話によれば、柴ちゃんは小学校卒業後も野球を続けていたとのことだった。そして中学の野球部でもエースだったこと、また、高校でも硬式野球部でエースだったことを教えてくれた。
高校野球では、なんと高3の夏に甲子園予選の西東京地区で決勝まで進んだらしい。しかし、大事な最後の局面で柴ちゃんの暴投が原因で負けたとのこと。それは何とも柴ちゃんらしいエピソードだった。
柴田さんが遠くを見つめながら話す柴ちゃんの人生は、言われても容易に想像できた。やはり柴ちゃんはシャイで、誰からも嫌われない、温かい性格だったのだろう。柴ちゃんは結婚もしていたらしく、死後となった今でも、奥さんは柴ちゃんのお母さんと2人で暮らしているらしい。お母さんも柴田さんも、未亡人となった奥さんに自由に生きて欲しいと何度も伝えたようだが、奥さんはそれを拒み続けたとのこと。お母さんと2人暮らしをしながら柴ちゃんを感じることを望んだそうだ。そんな一途な奥さんのエピソードからも、柴ちゃんの人柄がどんなに優れていたかと感心せざるを得ない。
「あ、暗い話をしてすみません。久しぶりの兄の話で、ついつい喋ってしまいました。」
柴田さんは立ち上がって、そう言いながら頭を下げた。だが、私は立ち上がってグローブを差し出した。
「柴田さん、キャッチボール…してくれませんか」
100球ほどキャッチボールをしたと思う。さすがに兄弟だからだろうか、柴田さんのピッチングフォームは柴ちゃんのそれと似ていた。似ていたからこそ柴ちゃんを懐かしむ気持ちと偲ぶ気持ちが入り混じり、私は涙が止まらなくなった。
「ごめんなさい。涙でボールが見えなくなっちゃって…。ありがとうございました。終わりにしましょう。」
その頃には、もう私の頭から会社や仕事のことは一切消え去ってしまっていた。
(今日はもうダメだ。また今度改めて仕事の話をしよう。)
そう思った私は柴田さんに謝った。
「すみません。今日はお呼び出ししておきながら…。今度は私が御社にお邪魔して、これからの事や今後についてご相談に伺います。だからとりあえず今日はここまでにさせてください。」
そう言って帰ろうとする私に対して、柴田さんが強い口調で話し始めた。
「亀田社長!今回の件、本当にすみませんでした。今弊社では新しいプロジェクトとして画期的なシステムを構築中です。そこで勝手ながら私からご提案させてください。弊社は無償で構いません。だから、是非御社と…亀田社長とこのプロジェクトを推進させていただけませんでしょうか!?」
あれから2年。
うちの会社は見事上場し、新規システムを活用したサービスで株価も急成長を遂げている。
新しい柴ちゃんとは今、ビジネスでバッテリーを組んでいる。
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