後日、私はその会社の“柴田”さんだけ呼び出し、指定した公園で待ち合わせるよう連絡をした。指定したところはうちの会社の近くの公園。よく考えれば、ビジネスとしては変わった場所を指定したものだ。最初に応対した役員からそのことを伝達してもらったが、「柴田」さんは薄々勘付いてくれているのだろうか。我が社のホームページを見れば代表取締役が私だということも理解しているはず。しかし、30年以上前のことなので、「柴田」さんは私のことなど忘れてしまっているのかもしれない。だとしたら、取引先の社長に公園で待ち合わせなどと聞いたらびっくりするかもしれない。
とにかく私は指定した公園で待つことにした。グローブ2つとボールを持って―。
私はただただ柴ちゃんとキャッチボールをしたかった。あの頃のように。あの頃の柴亀バッテリーのように。何を話そうか。積もる話がたくさんある。30年以上経ち、お互い老けこんだに違いない。仕事の話は最後で良い。とにかくあの柴ちゃんの重い球をもう一度受けてみたいと思っていた。
私は期待感が強く、約束の時間15分前から待っていたが、その5分後に“柴田”さんはやって来た。遠目から見た“柴田”さんは私と同様お腹が出て、髪は白髪交じりに薄くなっていたが、近くまで歩み寄る姿を見て確信した。それは紛れもなく柴ちゃんだと思った。
「柴ちゃん!」
私は挨拶よりも先に5メートル程前の段階でそう叫んだ。だが“柴田”さんの反応は意外なものだった。
「はじめまして。いつも大変お世話になっております。」
まぁ…そうか。まずはビジネスとしてしっかりと謝るべきだし、急に懐かしむわけにもいかない。やはりその辺は中年にもなればわきまえているのだろう。しかし堅苦しい挨拶さえも私からすれば煩わしいくらい、心は弾んでいた。
私は「俺だよ!亀だよ!」とすぐに言った。“柴田”さんの顔が驚くのを早く見たかったからだ。しかし“柴田”さんは不思議な顔で私をのぞき込むばかり。そしてこう言った。
「はい、亀田社長。存じ上げております。この度は御社に多大なるご迷惑をおかけしまして誠に申し訳ございませんでした。」
どうも反応がおかしい。人違いなのか…?
「亀田だよ、柴ちゃん!ほら小川ジャガーズで…小学校で…!ほら!」
あまりにも薄い“柴田”さんの反応に、私も焦ってまともにしゃべられず、両手にグローブを持ちながら「ほら!」としか言えなかった。
すると、少し寂しそうな顔をした後、頷きながら“柴田”さんが落ち着いて口を開いた。
「兄…。兄の弘成ですかね…?」
それから柴田さんはゆっくりと説明してくれた。そして私は理解した。
私の思っていた柴ちゃんは「柴田 弘成」だった。目の前にいるのはその2個下の弟「柴田 弘幸」だということが分かった。さらに驚くべき事実を伝えられた。
「兄は10年前に死んだんです。」
「えっ?」
「交通事故でした。自転車に乗っていた兄を大型トラックが左折時に巻き込んでしまいまして…」
私は絶句した。何も言えなかった。30年以上の空白期間のせいか、すぐに泣くほどの絶望感ではなかったが、柴ちゃんの死を想像すらしていなかったため、ただただ何も言えないまま立ち尽くすだけだった。そんな私の空気感を察した柴田さんは、私を諭すかのように、続けて話してくれた。
「驚かれますよね。あれからもう10年経つので、私もようやく兄の死を受け入れられるようになりましたが、当時35歳の若さでしたからね…」
「そうでしたか…知らずに失礼しました。私は柴ちゃん…いや、お兄さんかと勘違いして、久しぶりにキャッチボールをしたくてこうしてグローブまで用意してしまいました。
亡くなられたんですね…心からお悔やみ申し上げます。」
「お気になさらないでください。あらためまして、この度は弊社のミスで御社にご迷惑をおかけし、大変申し訳ございません」
「いや…..えっと…とにかく立っててもアレなので、あそこで少し話しませんか」
柴田さんと私は公園のベンチに座り、ボール遊びをしている子どもたちを眺めながら30分ほど話をした。
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