「自分」とはなんだろう?
ぼくの周りでは自己分析が流行り始めたころだった。
そう、あれは
「生まれて”すみません”」そんな言葉を書き残した太宰に傾倒していた当時21歳のぼく。
「あついあついあつい」
例のごとく扇子をバサバサと振り回しながら歩かざるを得ないムンムンとした暑い日のことだ。すれ違った人も振り向くほどバサバサと扇ぐぼくの腕は熱を放ち、私の体温を高める。そんなことは承知の上だ。1ヤード歩くだけでも汗をかくような道をいそいそと歩く。
「やあ久しぶりだね。元気かい」なんて社交辞令すら言わせてくれない彼女は会うなりピーチクパーチクと何かを言い、どこかへ歩き出す。まあついてこいやという彼女の暗黙の命令である。「いらっしゃいませー」とやけにのばした掛け声とともに美しい麦色の肌を持つ快活なお姉さんのお出迎えとともにエアーコンディショナーなる現代文明の遺産がぼくの濡れたシャツをなびかせる。久しぶりに会った友達のような後輩と酒を酌み交わすために訪れた日本中どこにでもある居酒屋だ。ぼくはどうも居酒屋がすきでたまらない。この変にのばす掛け声や、語り合う騒々しい魂の叫びがたまらなく好きだ。
まずは彼女のターン。尽きぬ話に付き合うのも嫌いじゃない。むしろぼくは自分の話を聞くよりも人の話を聞いてそこから話を広げる方が得意なのだ。これは表現の問題。全くもって自分から何かを生み出すなんて生まれてこの方ほとんどしたことがないと言っても過言ではない。そんな無口なぼくでも酒が入ると話をしたくなる。ぼくの数少ないアウトプットの時間だ。
「最近の若者は困るよ、本当に。『ら抜き言葉』に『さ入れ言葉』。『以上でよろしかったでしょうか』なんて言われた日にはもはや、かわいそうとすら思うよ。言葉について知らなさすぎるよ」とぼく。―どんな流れでこの話になったのかまで覚えちゃいない―
「知らな”さ”すぎる?」
「おっと。それはろれつの問題だね」と回転していない頭で答える。
「てか、なに!おっさんくさいな。その『最近の若者は』とか、ウイスキーのロックとか、趣味の悪い扇子とか。きも。」
きもいというのは彼女なりの親しみの象徴である。と信じている。
「いや、普通でしょ。え?おれがおっさんだったら世の中のおっさん達はどうなっちゃうわけ?おっさんがおじいさんに昇格したら、おじいさんたちはどうするのさ。」これくらい飲むと、脈絡とか話の先とかなんにも考えずに次の言葉がすらすらでてくる。「おっさんたちだって『最近の若者は』とか言うし、ウイスキーのロックも飲むし、センスの悪い扇子をパタパ……」
これが私です。笑
自分ってなんでしょうねムズカシイ
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